宇都宮地方裁判所栃木支部 昭和51年(ワ)100号 判決 1978年6月22日
主文
一 被告は原告に対し、金一八〇万一、五八九円および右金員に対する昭和五一年八月一八日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、それぞれを各自の負担とする。
四 この判決は原告勝訴の部分に限り、原告が金六〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し金三四五万三、一七八円およびこれに対する昭和五一年八月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 1項につき仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故および傷害の発生
原告は砂利の運搬、販売を業とするものであるが、昭和五一年二月四日午後五時頃、砂利採取業者たる埼玉起業株式会社(以下単に「埼玉起業」という)から買入れた砂利を自己所有の大型トラツク(以下「原告車」という)に積載して、小山市を貫流する思川に架設された石の上橋(小山市大字石の上六一―一)を東から西へ向けて約三〇メートル進行したとき、突然橋桁が折れて陥没し、約四・六メートル下の川底に原告車もろとも転落した。
右の事故(以下「本件事故」という)により原告は、頭部打撲症、頸椎捻挫、頸随損傷、頭部挫創等の傷害を受けた。
2 被告の営造物管理責任
(一) 前記石の上橋は、全長約八〇メートル、幅員三メートル、橋台が鉄筋コンクリート構造の木造橋(橋脚は直径約三〇センチメートルの鉄筋コンクリート円柱で、約六メートル間隔で建てられており、橋桁は縦横とも約三三センチメートルの角材四本よりなる)であり、被告市の管理する営造物である。
(二) 右石の上橋は、右のような構造であるため一見したところ相当な重量にも堪え得る頑丈な外観を有してはいるが、仔細に観察すると橋桁の腐蝕が著しく、従つて一定限度以上の貨物を積載した自動車が通行すれば、橋桁がその重量に堪えられず陥没、転落事故が発生することが容易に予想しうる状態であつた。
しかも石の上橋の北東約四〇〇メートルの地点には、前記埼玉起業の砂利集積場があり、その下流約一キロメートルの対岸には同社の砂利採集場があるため、同橋周辺はいわゆるジヤリトラの往来が頻繁であり、本件事故以前にはジヤリトラが同橋をしばしば通行していた。
(三) 従つて、被告は営造物たる石の上橋の管理者として、危険防止のため、同橋の両端に重量制限の標識または小型車以外の車の通行を禁止するための柵を設置し、もしくは橋桁を取り替えるなどしてその管理義務を尽すべきであつたのに、これらをいずれも怠つていたものである。
本件事故は右のとおり被告の石の上橋の管理に瑕疵があつたことに基因すること明らかであるから、被告は国家賠償法二条一項に基づき原告が蒙つた後記損害を賠償する義務がある。
3 本件事故による原告の損害
(一) 車を川底から引き揚げるために要した費用 九万五、〇〇〇円
(二) 車の修理費用 一三万四、六一〇円
(三) 休業損害 一八〇万円
(1) 昭和五一年二月四日から同月一二日まで杉村病院(小山市城山町二―七―一八)で入院治療
(2) 同年同月一三日から同年四月四日まで長島整形外科(古河市緑町一―一五)で通院治療
ところが右治療中に、本件事故に基因する外傷性外転神経麻痺のほか、慢性脳硬膜外血腫の症状があらわれ、血腫摘出手術を施さなければ生命に危険をおよぼすことが判明した。
(3) そのため同年同月五日から右血腫摘出手術のため翌五月一八日まで水戸赤十字病院(水戸市三―九三―一二)に入院した。
(4) そして同年同月一九日以後毎日、前記長島整形外科に通院し、頸部牽引、注射等の治療を受けている。
(5) 右のとおり原告は本件事故後すでに六カ月休業のやむなきに至つているところ、原告の事故前の月収は三〇万円を下らなかつた(昭和五〇年度における一カ月の平均収入は三七万円強である)。
(四) 慰藉料 八〇万円
(1) 傷害 前記治療経過のとおり、入院期間五七日、通院期間は一二六日におよんでおり、これに対する慰藉料は八〇万円が相当である。
(2) 後遺障害
本件事故による原告の受傷は現在ほゞ治癒したが後遺障害として次の症状が残存している。
イ 両手指先全部のしびれ感
ロ 左視または両眼視の時の像のゆがみ
右症状はすでに固定化しており、回復の見込みはないのでこれに対する慰藉料として二〇万円が相当である。
(五) 治療費 二八万九、五六八円(但し、原告が保険以外の本人負担分として支払つた治療費)
内訳(1) 前記杉村病院における入院治療費 二万二、〇八〇円
(2) 昭和五一年二月一七日から同年七月一三日までの前記長島整形外科における入院および通院治療費五万五、八三〇円
(3) 同年四月五日から同年七月一三日までの水戸赤十字病院における入院および通院治療費 二一万一、六五八円
(六) 付添看護費 三万四、〇〇〇円
右は、杉村病院に入院中の九日間および水戸赤十字病院に入院中の八日間(計一七日間)、原告の長女松代が勤務先を休んで付添看護したもので、一日二、〇〇〇円で算定した計三万四、〇〇〇円
(七) 弁護士費用 三〇万円
原告は本件原告代理人らに本訴提起を委任し、着手金一〇万円を支払い、一審判決時に右のほか二〇万円を支払う約定をしたので計三〇万円
(八) よつて原告は、前記(一)ないし(七)の損害計三六五万三、一七八円のうち請求の趣旨記載の三四五万三、一七八円およびこれに対する本訴状送達の翌日たる昭和五一年八月一八日から右支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被告の認否
1 請求原因1のうち、原告の負傷の詳細は不知、その余の事実は認める。
2(一) 同2(一)は認める。但し石の上橋の幅員は二・七二メートルである。
(二) 同2(二)のうち、本件事故以前にジヤリトラが石の上橋を通行していたこと、同橋が相当な重量にも堪え得る外観を有していたことは否認し、その余は認める。
(三) 同2(三)のうち被告が石の上橋の管理を怠つていたことは否認する。本件事故直後、原告が進入を開始した左岸において石の上橋の荷重制限の標識が外されていたことは認めるが、被告は右橋の両端において鉄製の堅固な標識各一基を設置してあり、現に反対側右岸のものは存在している。本件事故以前において前記左岸の標識が失われていたとしても、それは本件事故より程遠くない以前に何人かが取り外したものと考えられる。
3 同3のうち原告が本件事故により損害を受けたことは認めるが、その詳細は不知。
三 被告の主張および抗弁
1 石の上橋につき、被告の設置管理の瑕疵はなく、本件事故は原告の過失により発生したものであるから右事故につき被告に責任はない。
(一) 右橋は小山市内において数多くみられる、いわゆる「もぐり橋」の一つであつて、橋脚のみは鉄筋コンクリート製パイルで造られるが、これに乗せる橋桁等は、すべてことさら木製とし、ワイヤーロープで岸につなぎ、洪水に見舞われた際に橋桁が水勢に押し流されても両岸に接岸して流失せず、容易に復旧し得る構造となつている。
(二) 従つて、もぐり橋は構造上二トンをはるかに超える原告車のような大型車の通行に堪え得ないことは当然であつて、このことはもぐり橋の構造の外見的特異性からも何人にも一見して明白である。
(三) そのため、石の上橋より上流の思川沿岸にある埼玉起業の砂利集積場では、同所から砂利を買つていくトラツク運転手のため、同橋より約一・四キロメートル下流の河中に砂利トラツク専用の仮橋を設置してあり、対岸に渡るトラツクは、この橋か、さもなければ石の上橋より更に上流にある小山大橋を通行するのが常である。
(四) 原告は、前記砂利集積場より一〇トン車に一〇トンを超える大量の砂利を満載して、前記の如く他に通行可能な橋があり、かつ、埼玉起業の作業員から前記仮橋を通るよう告げられていたにも拘らず、無謀にも、橋台部分の腐蝕状況から見ても一見してそのような重車両の通行が到底不可能なこと明らかな石の上橋の通行を企てたものであり、右は道路交通法七〇条所定の運転者の安全運転義務に違反するものであつて原告には重大な過失がある。
また、原告車の車幅は二・四九メートルであつて、石の上橋の幅員二・七二メートルの二分の一を超えること一・三六メートルであり、従つて原告が同橋を通行したことは、道路幅員の半ばを超える車幅の車両の通行を禁止した車両制限令六条二項に明らかに違反する。
もし原告が右規定を遵守していたら本件事故は発生しなかつたものである。
(五) これを要するに、本件事故は以上のような原告の過失が自ら招いたものであるから、被告には同事故による原告の損害を賠償するべき義務はない。
2 過失相殺
仮に、被告が国家賠償法による損害賠償の責任を免れないとしても、本件事故の発生については、原告に前1で記載した重大な過失があるから、被告の原告に対する賠償額は少くとも五割が減額されるべきである。
四 被告の主張および抗弁に対する原告の認否、反論
1
(一) 被告の主張および抗弁1(一)、(二)につき、
「もぐり橋」なるものの目的、構造等については、その道の専門家でない限り殆んど知識を有しないものである。また石の上橋は外観からは相当な重量にも堪え得るとみるのが一般的な印象である。
(二) 同1(四)につき
車両制限令六条は道路上の接触・衝突等の防止を目的とした規定と解されるので、仮に原告に同条違反があつたとしても、それは本件事故の発生に関係はない。
原告が埼玉起業から砂利を仕入れるようになつたのは本件事故の二日前からであり、原告は事故現場付近の地理に詳しくなかつた。
原告は、事故当日たまたま思川を渡つて対岸にぬける所用があつたため埼玉起業の従業員に道順をきいたところ、同社の砂利採取場から西へ進み思川に達した後土手に沿つて左に下れば渡れる橋があると教えられ、同指示に従つて進行したところ間もなく石の上橋に達したので、同橋の外観が比較的頑丈でありかつ重量制限の表示もないため、同橋が右指示された橋と判断して進入したものであり、(右指示にかかる橋が石の上橋からなお約一・四キロメートル下流に埼玉起業が架設した仮橋であつたことは事故後に判明したものである)、右誤認をもつて原告に過失ありとはいえない。
第三証拠〔略〕
理由
一 原告主張の日時、砂利の運搬、販売を業とする原告が、その運転する原告車(大型トラツク)に埼玉起業から買入れた砂利を積載して、原告主張の場所に架設された石の上橋を、東端から西に向けて約三〇メートル進行したとき、突然橋桁が折れて陥没し、人車もろとも約四・六メートル下の川底に転落したこと、右橋は被告の管理する営造物であることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証、原告本人尋問の結果(第一回)によれば、右事故により、原告は頭部打撲症、頸椎捻挫、頸随損傷、頭部挫創等の傷害を受けたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。
二 そこで右事故(以下本件事故という)が被告の石の上橋管理の瑕疵によつて生じたものかどうかを検討する。
1 まず、本件事故発生の直接の原因についてみるに、原告の請求原因2(一)の事実は、石の上橋の幅員をのぞき当事者間に争いがなく、右事実と、成立に争いのない甲第四号証、乙第二号証の一、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる同号証の二、証人篠崎信昭の証言および原告本人尋問の結果(第一回)の各一部、証人矢口喜佐夫の証言(各回)、検証の結果によると、石の上橋は、全長約一一〇メートル、水面からの高さ約四メートル、幅員が地覆を含めた全幅員三メートル、有効幅員二・七四メートルであり、橋脚は直径約三〇センチメートルの鉄筋コンクリート円柱で、約六メートル間隔で建てられているが、橋桁および橋板は木造で、橋桁は縦横とも約三三センチメートルの角材や、丸材でできていること、原告は、本件事故当日、事故現場より約六〇〇メートル北東にある埼玉起業の砂利集積場から、自重約九・五トン、車幅二・四九メートルの原告車に砂利約一三・五トンを積載の上運転して同業者の訴外篠崎信昭外一名の各運転する各トラツクと共に石の上橋に至り、先頭を走つていた原告がまず同橋を渡るべくその東端から同橋に進入したところ、橋桁や橋板が木造でかつ腐蝕していたため原告車の重量に堪えられず折れて陥没した結果前記の如く原告車が橋下の河中に転落したものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
2 そして前掲甲第四号証、証人矢口喜佐夫の証言(各回)、検証の結果によると、石の上橋の橋桁、橋板等は昭和四八年初め頃作られたもので「もぐり橋」とよばれる橋であること、主として農耕車が通行していたこと、本件事故当時は木造の橋桁の腐蝕が著しく、原告車の如き重量の大きい車両等が通過するときは、橋桁がその重量に堪えられず陥没し不測の事態を惹起するおそれがあつたこと(この点は当事者間に争いがない)が認められ、この認定を覆えすに足る証拠はない。
3 右2で認定した事実によれば、石の上橋を管理する被告としては、かかる危険防止のため、同橋の両端に重量制限の危険標識を設置するか、または小型車以外の通行を禁止するため柵を設置するなどの措置を講じなければならないことはいうまでもない。
4 ところで、前掲甲第四号証、乙第二号証の二、証人清水泰治郎の証言により真正に成立したと認める乙第一号証、証人矢口喜佐夫(各回)、同清水泰治郎、同篠崎信昭の各証言、原告本人尋問の結果(第一回)、検証の結果を併せると、被告は石の上橋の前記構造上、また橋桁等の腐蝕進行を考慮して従来重量制限してきたもので、重量制限は昭和四八年当時は六トン、本件事故前頃は二トン、同事故後の昭和五二年初め頃からは〇・五トンとし、同橋の両端に基礎がコンクリートの鉄骨製支柱の上に標識板をとりつけ、右重量制限を表示した標識を設置し、被告の道路課職員が三カ月に一回位の割合で現場見回りをするなどして欠陥の調査、補修に当つていたが、本件事故発生より前の昭和五一年一月二八日頃までは同橋東端に存在した二トンの重量制限の標識の標示板が、原告が同橋に進入しようとした当時には失なわれており、標識の支柱および基礎コンクリートしかなかつたこと(この認定に反する乙第四号証の記載部分は前掲証人篠崎信昭、原告本人の各供述に対比し採用できない)、また、右橋には、小型車以外の通行を禁止するための柵を設置するなどの措置は本件事故当時なされていなかつたこと、原告は、前記の如く石の上橋東端にさしかかり、同橋に進入するに当り、徐行の標識はあつたものの重量制限を表示する標識はなかつたことと、これに加え、同橋の橋脚が多数かつ鉄筋コンクリート造りであることおよび橋桁のうち角材の角がとれてない部分があつたことなどから同橋が原告車の通行に堪え得るものと判断して進入したものであることが認められ、右認定を左右する証拠はない。
5 右認定したところによると、被告は、その管理する石の上橋の東端には重量制限の標識の設置、その他危険防止のための措置を講じていなかつたものといわなければならない。従つて、この点は道路に該当する橋を常時良好な状態に保つよう維持し、もつて一般交通に支障をおよぼさないよう努めるべき橋の管理者たる被告の管理行為に瑕疵があつたものというべきこともちろんである。
そして、右瑕疵があつたため、前記認定のとおり原告は石の上橋が通行に堪え得るものと判断して進入したところ、原告車の重量に堪えきれず橋桁が折れて陥没し本件事故が発生したものであるから、右は被告の同橋管理の瑕疵に基づくものというべきである。
なお、付言するに、原告は右認定の瑕疵のほか、被告において危険防止のための橋桁取替をしなかつたことをも管理の瑕疵として主張しているけれども、前記認定の如く、被告は右橋が造られた昭和四八年初め頃の当初より橋桁等が木造であることやその構造に鑑み、重量制限していたことに照らすと、前記の如く同橋が重量車の通行に堪え得ない程度に腐蝕状態に至つていたからといつて、それが直ちに橋管理上の瑕疵に当るものとはいい難い。
6 次に、本件事故発生につき原告に過失があつたかを審究する。
(一) 検証の結果、弁論の全趣旨によると、石の上橋は市街地区域外の道路であると認められるところ、前記認定の如く、同橋の全幅員は三メートル、有効幅員は二・七四メートルであり、原告車の幅員は二・四九メートルであるから、原告が同車で同橋を通行したことは、車両制限令(昭和三六年七月一七日政令第二六五号)六条二項に違反するものである。
また前掲甲第四号証、証人矢口喜佐夫の証言(各回)、検証の結果によれば、石の上橋から約一・二キロメートル下流(南方)に埼玉起業の管理する砂利運搬トラツク専用の仮橋(以下「仮橋」という)があるところ原告は石の上橋の北東約六〇〇メートルにある前記埼玉起業の砂利集積場から原告車で出発する際、埼玉起業の関係者から「右砂利集積場から二キロメートル程下流に砂利トラツクの専用の橋がある」旨きいていたこと、また、本件事故当時石の上橋は、橋桁や橋板である角材のうち角のとれていないものも一部あつたものの、橋桁や橋板の腐蝕しているのが顕出している箇所がところどころにあり、同橋の側面や上面から少し注意してみれば右箇所を見ることができたこと、以上の事実が推認され、右認定に反する証人篠崎信昭および原告本人の各供述部分は、前掲検証の結果、甲四号証に対比して採用できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
(二) 右認定事実に、前記認定した如く、石の上橋の橋桁、橋板が木造であり、同橋の幅員が全幅員でも三メートルにすぎないのに、一方原告車は積載物をあわせ二〇トンを超える重量があつたこと、橋脚は鉄筋コンクリート造りとはいえ各橋脚の間隔は約六メートルであることなどを併せ考えると、原告車のような重量のある車が同橋を通行するときは、その負荷により、その通行部分の橋桁、橋板が折れたり陥没する危険のあることは、原告において予想するにさして困難な事項とは考えられないところ、原告車を運転する原告としては、車両制限令にも違反することとなる同橋への進入を避け、埼玉起業の関係者の指示にかかる仮橋を渡るべきであつたと考えられるのに、これを怠り、あえて車両制限令違反ともなる同橋への進入をなしたために本件事故の発生をみたものと考えられる。
もつとも原告は、石の上橋を埼玉起業関係者の指示にかかる前記仮橋と誤認した旨主張するが、この主張に符合する原告本人尋問の結果(第一回)部分は、右指示された距りと、仮橋、石の上橋および前記砂利集積場の各距離関係や、前掲乙第二号証の一、証人矢口喜佐夫の証言(各回)検証の結果に対比して措信し難く他に右主張事実を窺わせる証拠はない。
そうすると、本件事故の発生は原告にも過失があるというべきである。(なお、原告の過失に関して原告は、同令六条が道路上の接蝕、衝突等の危険防止を目的とした規定であるから、右違反は本件事故発生に関係がない旨主張するが、同令は、交通の危険防止とともに道路の構造を保全することをも目的としていることが、同令一条の規定によつて明らかなので、同令六条違反が本件事故発生に関係がないとの主張は採用できない。)
(三) 付言するに、被告は、原告の右過失は道路交通法七〇条所定の安全運転義務に違反する旨主張するけれども、単に他人の財産的物件に危険が生ずるに過ぎない場合には同条違反に該当しないものと解されるところ、前掲乙第二号証の二、証人篠崎信昭の証言、原告本人尋問の結果(第二回)によつて認められる、石の上橋には事故当時原告車以外通行する人車がなかつたことや、同橋の構造に対比すると、本件では他人の財産的物件に対する危険をこえて「他人」に危害をおよぼす運転であつたとまでは断定し難いところである。よつて右主張は採用しない。
7 被告は、本件事故は原告の過失が自ら招いたものであり被告に責任がない旨主張し、同事故の発生は重量制限の標識の存否とは無関係で、橋管理の瑕疵と本件事故発生との間には相当因果関係を欠くかのように主張するけれども、「もぐり橋」である石の上橋が、被告主張のような洪水対策用の構造を有しているとしてもこれが通常一般人に知られているものと窺わせる資料もない。また、前掲甲第四号証、検証の結果、原告本人尋問の結果(第二回)に照らすと、石の上橋の構造の外見的特異性や、橋桁や橋板の腐蝕状況から同橋が原告車のような大型車の通行に堪え得ないことが何人にも一見して明白であるとまではいえず、むしろ橋脚が鉄筋コンクリート造りのため、同橋を見る角度によつては一見したところ頑丈な外観を有しているといつてもよいことが認められ(この点に関する証人矢口喜佐夫の証言(第一回)は採用しない)、また、原告が車両制限令六条二項に違反したことをもつて直ちに、被告の橋管理の瑕疵と本件事故発生との因果関係をしや断するに足るものともいえない。更に、本件事故発生についての原告の前記過失はあるけれども、橋に重量制限の標識がある場合に比し、これがない場合は、橋の構造、状態等に危険感、注意力が働く度合は薄弱、散慢となり、安易に橋に乗り入れて事故を惹起するおそれがあるのであるから、原告の進入した石の上橋の東端に重量制限の標識がなかつたことが本件事故発生の原因であることは否定し難いところである。
よつて被告の右主張は採用できず、被告は国家賠償法二条一項に基づき、本件事故により生じた原告の損害を賠償するべき義務がある。
三 前記認定したように、本件事故の発生には原告にも過失がある。
そして前記認定の事故発生に至るまでの諸事情を考慮すると、原告の損害額につき五割の過失相殺をするのが相当である。
四 そこで以下損害額について調べる。
1 前掲甲第一号証、成立に争いのない甲第二第三号証、同第五号証、同第一四号証、原告本人尋問の結果(第一回)により真正に成立したと認められる同第六ないし第九号証、原告本人尋問の結果(各回)によると、原告は、本件事故による前記受傷のため原告主張のように杉村病院において九日間入院治療を受け、長島整形外科において昭和五一年二月一三日より同年四月四日まで通院治療を受け(但し、この間同年二月一七日から二月二三日までの七日間は入院)、同整形外科で治療中、前記受傷に起因して、外傷性外転神経麻痺のほか、慢性脳硬膜下血腫の症状があらわれ、血腫摘出の手術を受ける必要が生じ、そのため同年四月五日から翌五月一八日まで水戸赤十字病院において入院、施術を受け、更に、同年五月一九日から同年七月一三日まで前記長島整形外科および水戸赤十字病院において通院治療を受けたこと、なお同月一四日以降も同月三一日までは安静加療を要したこと、現在前記傷害は治ゆしているが、後遺障害として原告主張のとおりの後遺症状が固定して残存していること、原告は前記治療のため、原告主張のとおり入院、通院治療費として合計二八万九、五六八円の出損を余儀なくされたことが認められ、この認定を左右する証拠はない。
(一) 右認定事実によると、本件事故による損害として原告が主張する治療費二八万九、五六八円は相当である。
(二) 右認定事実および原告本人尋問の結果によると、原告は受傷当日入院した杉村病院での入院期間九日間、および水戸赤十字病院における入院期間中、手術前後の八日間の計一七日間、事実上付添看護を要し、原告の娘が勤務を休んで付添看護したことが認められ、右付添看護費相当の出費としては、一日二、〇〇〇円を下らないものと推認されるから、原告主張の右一七日間の付添看護費三万四、〇〇〇円は相当と認める。
(三) 証人小寺英夫の証言とこれにより真正に成立したと認められる甲第一三号証、同第一五、一六号証、原告本人尋問の結果(第一回)、によれば、原告は、砂利の運搬、販売業により事故当時一カ月三〇万円を下らない収入を得ていたものと認められるところ、前記冒頭で認定した事実並びに前掲甲第三号証、および弁論の全趣旨によれば、原告は前記受傷のため、事故当日より六カ月を下らない期間稼働できず、同期間収入を得ることができなかつたことが認められるので(右各認定を覆えすに足る証拠はない)、原告の休業損害としては一カ月三〇万円の割合による六カ月分一八〇万円と認めるのが相当である。
(四) 前記冒頭で認定した事実によると、原告は本件事故による受傷のため、五七日を下らない期間入院し、一〇八日間通院した外更に一八日間安静加療を要したものであり(同認定をこえる通院はこれを認めるに足る証拠がない)、傷害に対する慰藉料は八〇万円をもつて相当と認められ、また前記後遺障害に対する慰藉料は一五万円をもつて相当と認める。
(五) 原告本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したと認められる甲第一〇ないし第一二号証によると、原告は本件事故により川底に落ちた原告車を引き揚げるため九万五、〇〇〇円出費し、同事故により損壊した同車の修理のためその費用として一三万四、六一〇円の出損を要したことが認められ、右はいずれも本件事故による損害と認めるのが相当である。
2 右1で認定の有形無形の損害の合計は三三〇万三、一七八円になるが、前記認定のとおり本件事故の発生については原告にも過失があるので、前記五割の割合により過失相殺すると、被告において賠償すべき額は一六五万一、五八九円となる。
3 弁論の全趣旨によれば、原告が本件原告訴訟代理人らに本訴の提起、追行を委任したことが明らかであるところ、本訴の事案の内容、請求額、認容額、訴訟の経過など一切の事情に照らすと、原告が被告に求めることができる弁護士費用は一五万円をもつて相当と認める。
五 以上のようにみてくると、被告は原告に対し、前記四2、3の合計一八〇万一、五八九円と右金員に対する本訴状送達の翌日であることが訴訟手続上明らかな昭和五一年八月一八日以降右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告の本訴請求は右の限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 武田多喜子)